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東京都江戸川区を拠点に活動する自由参加型のサークル。自由気ままで純粋にサッカーやフットサルを楽しみながら学校や所属クラブチームの垣根を超えて友達の輪を広げていける、がコンセプトのサークルです。

ブログ

2018年11月

【習うよりも自主練①】

時々、子供たちが朝早くから友達通しで自主練をする姿を見かけることがあります。「サッカーが上手くなりたい」、「レギュラーの座を勝ち取りたい」、「チームで絶対に〇〇大会に出たい」、といったような目標があるから自分達だけで自主練をしようと思うものです。やがては大きな大会が近づいてきたら、そこに話し合いが入ってくるかもしれません。いずれにしてもこれは非常に良いことだと思います。
サッカーが上手くなりたいからスクールに入る、という選択肢ももちろんありだとは思いますが、私は個人的にお金をかけてスクールに入れて習わせるよりも自分でする努力や、友達通しで純粋にサッカーを楽しみ、時には意見をぶつけ合いながらやる自主練の方が何倍も効果があると信じています。

スクールに入るメリットももちろんあります。ある特定の技術を徹底的に磨けるという点と、同じ目標・目的を持った選手が集まってきているので自然とそれが刺激となり自身のスキルが高まる、といった点があげられると思います。またそこで新しい友達と出会い新しい人脈が築けるということもメリットの一つでしょう。

少し考え方が古いと思われるかもしれませんが、ワールドカップの常連国になるような南米やアフリカの国々の選手の個人技、身体能力は今でも平均して日本人のそれよりもはるかにレベルが高いです。時折YouTubeで、ブラジル人同士がやるリフティング映像なんかを目にしますがとても一般人に真似ができたものではありません。
こういった国々の中には幼少期から英才教育を受けている子たちも当然いるのでしょうが、まだその大半が日々、決して裕福とはいえない生活環境の中で、時には裸足でサッカーを楽しみ、友達同士で和気あいあいと母国や世界のスーパースターたちのプレーを真似しながら自然とテクニックを磨いていっているのが現状です。

この自主的に自分を磨く努力、純粋にサッカーというスポーツを楽しむマインド、憧れのスーパースターのプレーを真似してみる、自分よりもレベルの高い上級生たちに交じって感性を磨く、といったことを普段からやっている人の方が、試合中のあらゆる状況・局面において、監督の指示にもないフリーな発想で観客を魅了しながら局面を打開できる選手に成長していくものだと思っています。

習ったことよりも自分で感覚的に見つけて養った技術の方が何倍も価値があり、試合という実践の場で大きな成果を発揮できることでしょう。

 

2018年10月

【Free-for-allの原点】

今やっている早朝サッカー/フットサルを始めたのは2014年の6月と4年以上前に遡るのですが、実はこの活動を始めるきっかけになったのがその少し前に私の地元で経験した同じような子供~大人までが混じってやる“ごちゃまぜサッカー”の存在でした。

私は長野県の片田舎で生まれ育ったのですが、サッカー不毛の地の長野県の中でもその地域は何故か40年も前からサッカーが非常に盛んであり、一部の人からは“北信のブラジル”とも呼ばれることがありました(北信=北信州/北信濃の略)。私は小学校4年生の時にその地元の少年サッカーチームに入団したことがきっかけでサッカーを始めたのですが、その時に当時の監督だったMさんという方が今でも地元や北信地区のサッカーの発展のために地域の子供達の活動の場を提供し、サッカーの普及活動に精を出していることを知りました。Mさんは普段から会社の仕事を持ちながら兼務でジュニアユースのコーチや審判などの活動をしているようなのですが、毎年元旦になると地元の小中学生やその親御さん、または帰省してきた卒業生やOB/OGを集めて“初蹴り”という年齢不問の元旦サッカーを開催していて、2014年の元旦の会に私は初めて招待されることとなりました。
そこでは、昔いっしょにサッカーをやった旧友から先輩、後輩とその子供達、また地元の小中学生数十人が集結していてそのMさん司会のもと、正味2時間程度の短い時間帯でしたが年齢や時の経過を忘れて純粋に子供の様にサッカーを楽しむことができましたし、参加している子供たちはそれ以上にとても楽しんでいるように見えました。それは純粋に楽しめる正真正銘の“遊び”のサッカーでした。また子供から大人までがごちゃまぜになってやるサッカーも全然ありだということを知りました。
それからは毎年この元旦の初蹴りには親子で参加するようにしていますし、お盆にも同じようなプチ早朝サッカーというのがあるのですが、そちらにも毎年親子で参加するようにしています。

社会人になってからは何度かサッカーの試合に誘われたりしたことはありましたが、30歳を過ぎてからはほとんどサッカーボールに触ることはありませんでした。しかしこの時の元旦サッカーで感じた“遊びサッカーの楽しさ”を実現できる機会がとうとうやってきました。それがこのFree-for-allの活動の原点にもなる“近所サッカー”でした。当時小3の息子と近所の小学生たちが近くの公園で毎日のようにサッカーをやっている光景を目にし、これは地元でやったごちゃまぜサッカーを再現しないわけにはいかないと思い立ち、フットサルコートを予約して近所の子供達とその親御さんを交えて早朝フットサルをスタートさせることとなりました。

今では参加してくれる人もだいぶ増えてきて、活動の内容やメンバーもスタートさせた時とはだいぶ様変わりしましたが、活動そのものの考え方は当時と何も変わっていません。
原点は“サッカーの普及”であり、この活動を通してサッカーの楽しさや交友関係の構築がなされていければいいな、と思っています。
勿論、大人と子供がいっしょにやることについては安全面には十分気を付けなければなりませんし、その部分については特に注意を払っていくつもりでいますので、今後もこの活動へのご理解・ご協力の程宜しくお願いいたします。

 

2018年9月

【ディスカッション】

白熱したロシアワールドカップが終わり早1ケ月が過ぎようとしています。今大会ではVARやフェアプレーポイントなどの新しい仕組みが導入されたせいか、全体的にラフプレーや疑惑のジャッジメントなどが少ない非常にクリーンでスマートな大会だったと思います。

この大会では日本代表が決勝トーナメントに進出し、惜しくもベスト16で敗退という結果にはなりましたが、その組織力やスピードで多くのサッカーファンを魅了することができ、また長年協会の関係者が掲げてきた“日本らしいサッカー”を一番世界に向けて発信できた大会だったのではないでしょうか?

この大会ではワールドカップ直前に監督が交代するというハプニングに見舞われましたが、西野監督の指導力や采配のおかげでチームとして本番に最高のパフォーマンスを演出することができました。
今回の代表チームは世間からは“おっさんJapan”とも呼ばれることがあり、ワールドカップ参加国の中でも平均年齢がかなり高いベテラン中心のチームでありました。一部には中・高校生でいうところの“部活サッカー”だと例える人もいました。

ただ私は個人的に、今回のチームはチームとしてのまとまりや団結力のようなものがあり大変好感が持てるものでした。部活的という表現はそのサッカー部の最高学年とそのすぐ下の学年の上手い選手だけを集めて結成したいわば経験や技術だけでいえば最強のチーム、といったところが当てはまるのではないか、と思います。つまり日本人ならではの“情”が強く入ったチームだったと思います。
外国人監督が指揮を執る場合、この“情”が入りにくい分非常にシステマチックにチームを構成する傾向が強く、チームのシステム構成上、各ポジションに当てはまるベストプレーヤーを選出してくることが多いように感じます。そのため若くても将来性が見込める選手や、予想外の選手が代表メンバーに選ばれたりする傾向が共通して見られていました。

今回のような日本人監督+最強メンバーで臨んだワールドカップ予選は過去にも何度かありましたがその全てが予選敗退という残念な結果に終わっていました。今回の西野ジャパンの優れていた点はチームメンバー間での話し合いや徹底的な議論を重視したことにあると言われています。この話し合いや議論で納得がいくまで意見を言い合い、時にはぶつかり合うことで真のチームワークや信頼関係が生まれ、最終的にはワールドカップ本戦でも世界中を魅了する個の技術+組織力の日本のサッカーを披露することができたと思っています。

西野監督の素晴らしい点は、その卓越した指導力とコーチングの手腕はさることながら、チームメンバーの意見を尊重し、選手同士の徹底的な議論を通じて個々が持つ能力を最大限に引き出したことにあると思います。そこにはGuided Discoveryとファシリテーションの要素が多分に含まれていたと思っています。

ファシリテーションによってディスカッションを引き出すGuided Discoveryの手法こそが選手の自主性を高めて良い選手に育て上げるための現代にマッチした指導方法ではないか?と感じています。

 

2018年8月

【アイドルを見つけること】

“目的と目標をしっかり持つこと”が何事においてもスキルアップを図るための重要手段であることは確かなのですが、もう一つ“自分が目標とする人物=アイドルを見つけておくこと”も自身が成長する上では欠かせない要素の一つだと思っています。
サッカーを例にしますと、自身が目標とする選手、尊敬できる選手がいわばアイドルに相当する人物ということになると思います。
ものすごいドリブルをする選手に魅了され感銘を受けたとしますと、その選手○○がその人のアイドル(の一人)になるというわけです。司令塔のようなプレーに憧れている場合は、ワールドクラスの司令塔(レジスタ)○○のプレーを研究し真似をするようになるでしょう。
今の時代はメッシやクリスティアーノ・ロナウドがスーパースターとして君臨しているわけですが、それらの選手にもやはり目標としていたアイドルが存在しているわけです。

サッカーは日々変化していてルールもまた十数年前とは大きく変わってきています。30年以上前に主流だったポジション固定でマンツーマンスタイルのチーム戦術は現代サッカーではほぼ無に等しく、特に最近のサッカーは一人の選手がドリブルで切り込んでいくような光景はほとんど見ることができないポゼッション、プレッシング、コンパクト、ゾーンを重視した全員攻撃、全員守備のスタイルになっています。しかしこういったスタイルも年々進化し、20年前、10年前と今とでもまたサッカー選手に求められる技術や質も当然のことながら変わってきているわけであります。従って私達の親の世代と私達、また私達とその子供達の世代では当然のことながら技術や考え方に時代錯誤が生まれるのでは?と思ってしまうものであります。

しかし面白いのは、現代のスーパースター達もやはりその一世代前のスーパースター達を模範としていて、その一世代前のスーパースター達もその更に一世代前のスーパースターの選手に魅了され、今の地位を確立しているというところであります。
簡単に言ってしまえば、どの世代でも一流のスーパースター達のプレーや技術はサッカーがどれだけ進化しようとも簡単には到達できないレベルにあるということになると思います。

自身が「こうなりたい!」というプレーをする選手、アイドルを見つけることが、サッカーが上達する上でのもう一つの重要な要素になると思いこのブログで紹介させて頂きました。

 

2018年7月

【目的・目標を持つこと】

サッカーに限らず人よりも一歩も二歩もリードできている人、とりわけ高い水準に位置している人に共通していることは“目的・目標をしっかり持っていること”にあると思います。

目的と目標は似ているようで異なるもので、まず大目標としての「目的」があり、それを達成するために「目標」が掲げられるわけです。目標は英語ではgoal(ゴール)と訳されるためあたかも最終到達点のように思われがちですが、実は目標は目的を達成するための指標・手段の一つであり、目的が第一にあって目標がある、という関係が成り立ちます。

例えばサッカー選手の例を一つ挙げてみるとします。
「ワールドカップに代表選手として出場すること」が最終目標だとすると、そのための第一目標が高校選手権またはユースの大会で活躍してスカウターの目に留まってプロ選手になる、といったところになるのでしょう。その第一目標のために強いJr.ユースのクラブチームに入ったり、サッカーの強豪校への進学を選択したり、必死に自主練をしたり、あるいはスクールに入ってテクニックを磨いたりします。プロになった後の第二目標は日本代表に選ばれること、ということになるのでしょうが、そのためのキャリアを積むために海外に出ていく人がいるかもしれません。そして代表選手に入った後はワールドカップに出場する、という最終ゴールに向けた挑戦が始まるわけです。
では肝心の“目的”は、というと、ワールドカップに出場することが最終目標なのかもしれませんが、やはりそこに出場することで自分の名を売り、一流クラブに入って大金を稼ぐ、あるいはサッカー選手としての名誉を手に入れる、その過程で得たキャリアと能力で一生サッカーという仕事で生計を立てるといった“目的”の存在があるはずです。

指導者ライセンスのリフレッシュ研修会の時にFC東京所属のインストラクターの方が話していたことなのですが、欧州のリーグで活躍している教え子たち(ここでは長友選手と武藤選手を例に挙げていました)は、とにかく高い目的意識とそれに向けての目標やビジョンを誰よりも明確に持っていた、と語っていたのが印象的でした。

ただ漠然とスクールに通ったり自主練したりするのではなく、高い目標と目的意識を持って臨むことでその成果は見違えるほど違って現れてくるものです。

 

2018年6月

【ファシリテーション】

最近の会議やセミナーなどの進行はファシリテーションに基づいたものが多いと感じます。ファシリテーション(facilitation)には「容易にすること、簡易化、助成、助長」といった意味があり、これを行う人のことをファシリテーター(facilitator)と呼んでいます。
簡単に言ってしまうと会議などの進行役に相当する人物、ということになるのですが、これまでの進行役と大きく違う点は、進行役主導で会議などをぐいぐい仕切って進めていくのではなく、参加者が自然と会議に参加できるように“先導する”、まさしく助長者、促進者の役割を果たす人物、ということになります。
最近の会議スタイルがファシリテーションに沿ったものが多い、と感じる理由の一つは、参加者全員が必ず発言する=長時間緊張感が途切れずに眠くならないスタイルの会議が全体的に増えていると感じていることにあります。これまでの会議は、ある特定の人達だけが発言していつの間にか会議の本題から反れて行ってしまい結局結論が出ない、何のための議論だったのかわからない、いわゆるつまらない会議といったものが世の中の会議の大半を占めていたものでした。セミナーや研修にしても、講師が一方的に講義を行い、受講者は完全に受け身の状態、研修中も寝ている人というのは結構目にすることが多かったのではないかな?と思います。
ファシリテーションスキルは、そこに参加している人たちが主体となって議題やテーマについて能動的にディスカッションさせることを目的としたもので、“全員参加型”にする、という点でこれまでの進行役のスタイルとは大きく異なります。
私が感じることとしては、この“ファシリテーション”は“意見や考えを引き出す”、という点でGuided Discoveryに共通する要素を多分に含んでいて、スポーツの指導や学校教育の現場においても大いに活用できる進行のやり方ではないか?と思っています。

 

2018年5月

【褒める】

有力なコーチング方法としてもう一つJFAが重要な要素としてあげているのが“褒める”です。Guided discoveryにも大いに関係してくるキーファクターとなりますが、JFAの指導教本はとにかく褒めてあげることを非常に重要な指導方法として明記しています。私も仕事で色々な研修やセミナーを受けることが多いのですが、そこで全てに共通している要素が“褒める”だとか、“プラスにとってあげる”といったネガティブな要素を排除したコミュニケーションの取り方、いわゆるYes-And型の思考であります。円滑な人間関係(大人対大人、大人対子供、子供対子供)ができれば、練習にしても学校にしても仕事にしても全てが良い方向に循環し始め、結果的には最高のチームワークが形成され、最高のパフォーマンスとアウトプットを生み出します。
これとは逆に、怒る、注意し続ける、否定する、といったネガティブなアクションばかりしていると子供や部下は自信を無くし、チームワークが形成されるどころか最悪な人間関係になってしまい思考の停止という最悪な状態を引き起こします。これはNo-But型の思考とも言われ創造性を生み出すためのGuided discoveryの指導概念には障害となる要素なのです。

「アメとムチを使い分けろ」とはよく耳にします。褒めてばかりいても駄目ですし、時には注意ももちろん必要です。そういった意味でも、問いかけて投げかけて発見を導き出し、そしてできた時には必ず褒めてあげる。時には適度に注意をしてあげ、そこで新たな発見が導き出せれば究極のGuided discoveryが完成するのでは?と私は思います。

 

2018年4月

【導かれた発見】

“Guided discovery”

このブログのタイトルとしても引用している言葉で、直訳すると「導かれた発見」あるいは「発見を導き出す」という意味となり主にサッカー界の指導者の間では指導の道標(みちしるべ)として用いられている用語です。
私がこの言葉と初めて出会ったのは昨年受講した指導者養成/昇級講習会の時のことでした。Guided discoveryの考え方は子供から大人までの幅広い世代で通用するものであり、日本サッカー協会(JFA)が優れた指導者を育成し、そしてそれを選手にアウトプットしていく上でのキーワードとして掲げている指導方法の概念であります。
この用語を初めて耳にした時、非常に強いインスピレーションを感じたのを今でも鮮明に覚えています。後で知ったことなのですが、このGuided discoveryの指導方法は何でも名将 ジョゼ・モウリーニョが採用しているコーチング法であり、それが日本サッカー協会でもスタンダードな指導方法として取り入れられるようになったそうです。

Guided discoveryの指導方法・教え方の原則は「問いかけ」、「投げかけ」をすることで相手に“気づき”を与えるところにあります。つまり簡単に答えを与えないという方法です。

例えばサッカーのプレーを一例にとってみることにします。ある少年A君が味方からボールを受けたのですが、その直後にそのトラップ際を狙っていた相手DF(ディフェンダー)にまんまと奪われてしまったというケースがあるとしましょう。その時、コーチXさんは「違う!トラップしてコントロールする場所はそこじゃないだろう!」、あるいは「こういう時はここへトラップしてコントロールするんだよ。」とデモを見せたとします。これは昔からよくある一般的な指導スタイルだと思いますし、勿論、デモは今でも非常に有効なコーチング手段であることに何ら変わりはありません。
これに対してGuided discoveryの考え方は「今、どうしてトラップした瞬間にすぐ取られちゃったんだと思う?」、「相手が寄せて来たときの体の向きはどうだった?」といった「問いかけ」を行うといったものです。その問いかけに対し、少年A君が自身で考え、そしてコーチの問いかけに対して答える➡気づく=新たな発見がある、という好循環が起き、自身のスキルとして鮮明にインプットされるのです。

箱根駅伝で4連覇の偉業を成し遂げた青山学院大学の原監督の指導方法について調べてみると、まさにこの発見を導き出す“Guided discovery”がベースになっていることがわかります。
少年サッカーに留まらず、全ての世代において効果を発揮する素晴らしい指導概念だと思っています。

 

2018年3月

【サッカー以外のアクティビティについて】

以前のブログでも書きましたが、サッカーがとても好きな子供にサッカーを好きなだけやらせてあげることはとても良いことだと思います。そういった子供たちの中からは、やがてサッカーの高校選手権やユースの大会で活躍し、更にその中からJリーガーになる選手も出てくるかもしれません。あるいはさらにその先の日本代表にも選ばれ、海外の有名クラブからオファーがくる選手もいるかもしれません。

ここまで到達する選手は、特に競技人口の多いサッカーというスポーツにおいてはほんの一握りの天性の才能を持った選手か、相当な努力を重ねた選手のどちらかではないか?と思っています。

才能を持った選手(しかし彼ら、彼女らは相当な努力はしているはずです)はいつでも誰からでも憧れと尊敬の眼差しを持って見つめられるものです。

ご存知の方も多いと思いますが、以前、財前宜之選手という類まれなるサッカーセンスを持った選手がいました。同じ世代には日本代表としてワールドカップや世界有数のクラブチームで活躍した中田英寿選手や宮本恒靖選手らがいるのですが、彼らからしても財前選手のサッカーセンスは群を抜いていて、同じ世代の選手からはまさに憧れの的そのものの存在だったようです。勿論、各世代別の日本代表には必ず選出されていて、監督やコーチが日本代表の練習の時には、必ず財前選手に見本をやらせて見せた、というのはあまりにも有名な話です。ヴェルディのセレクションの時には軽くボールに触れただけで合格をもらったという逸話もあるようです。

しかし、その財前選手の姿をワールドカップで一度も見ることはできませんでしたし、財前選手の存在そのものを知らない人も多いのではないかとも思います。彼が華やかな表舞台から姿を消さざるを得なくなった最大の理由は“怪我”です。右膝の前十字靱帯断裂という大怪我を負ってしまい結果的にその怪我が再発を繰り返しプロサッカー選手としてのキャリアを若くして終えなければならなくなってしまいました。
その一方で、確実に日本代表の中心選手に成長し、日本のワールドカップ初出場の原動力となり更にはワールドカップでの活躍が認められて当時の世界最高峰レベルのリーグにキャリアの場を求めることになった選手がいました。そう、誰もが知る中田英寿選手です。

その中田選手からしても財前選手は憧れの存在であり、あまりに上手すぎて近寄りがたかったという位すごい人だったようです。その中田選手ですが、自身では「誰も僕のことを上手い、と思った選手はいなかったはず」、「僕は今まで一度も自分は上手いと思ったことがない」といったコメントをあるテレビ番組のインタビューの中で話していました。我々からすると勿論とんでもない謙遜話であり、“世界の中田選手”が何をおっしゃってるんですか!?っていうのは至極普通の反応だと思います。

ではサッカーの技術(ここではテクニック)では(一歩譲って)財前選手よりもだいぶ劣っていたかもしれない中田選手が世界最高峰のリーグで活躍し、「世界の中田」、「私が見てきた中で一番優れた日本人 – by マラドーナ」の名声を得ることができた最大の要因は何でしょうか?

その答えの鍵は、実は財前選手本人がそのテレビ番組の中で話していました。
「やっぱああいう人が成功するんだな、と。」、「彼は準備の天才ですね。」

“準備の天才”、というと、例えばワールドカップのような大きな大会や海外のリーグに挑む前の体づくりやコンディション調整、外国語の習得などを全て含めて言うことができるとは思いますが、私個人的には、それがそれらに挑戦する直前に習得するような一時的なものでは無く、幼少期の頃から長い年月をかけて築き上げてきた“本人の習慣”そのものではないか?と思っています。
中田選手は全ての年代の日本代表に選ばれてきた正真正銘のサッカー界のエリートなのですが、日本代表選手の集まりの中に入ってしまうと自分よりもはるかにうまい選手が何人もいる、セリエAの名門ASローマに所属した時もまわりは各国のスター選手ばかりがいる、といった状態となりどうしても引け目を感じてしまうことがあったとのことです。

そこで“準備”の話に戻しますが、中田選手自身はそういったハイレベルな集団の中に身を置いた時に常に考えていたことが一つあったようです。それは、そこで何ができるか、ではなく、「どうやったらここで通用できるか?」、を強く意識していたそうです。前者が英語でいうところのWhatならば、中田選手はHowに相当する部分を強く意識していたということになります。

この「How=どのようにして?」を常に意識できるマインドは一夜漬けで身に着くようなものでは決してないと思っています。その部分こそが中田選手の真骨頂(成功の秘訣)とも言える“習慣”そのものだと思いますし、ビジネスの世界においてもこの論理的思考で物事を捉えられる人は常に“How=手段”の部分を強く意識し、あらゆる問題に直面したとしてもいろんな手段を使っていち早くその問題を解決することができるのです。

中田選手は語学が堪能で、(程度こそ違えど)5か国語を話すことができるそうです。準備の天才とは、単に幼少のころから語学だけをしっかり勉強していた、という訳ではなく、それ以外のあらゆる要素:学校では理数系や音楽も含めた全ての学習、サッカーではテクニックだけでなく状況判断力の訓練、スポーツではサッカー以外のアクティビティ、全てにおいて興味を持つ、考えながらやってみる、という習慣を通して身についた能力のことだと私は思っています。

今の日本のサッカー界には、本田選手や香川選手を筆頭に、世界で通用する若手選手がどんどん増えています。そういった選手の中には、本当にサッカーに没頭して今の地位までたどり着いた人も勿論大勢いるでしょうが、海外という言葉も文化も全く違う異国の地で順応し、最終的に成功をおさめてチームの中心選手になれた人物というと結構、数えるくらいしかいないのではないでしょうか?
(現ヘタフェCFの柴崎岳選手は、初めてスペインの地に降り立った時、適応障害という恐ろしい精神病に侵されてしまいました。今ではその病を克服し、チームの中心選手となって頑張っているのでとても尊敬できます。)
私は海外で活躍し、チームの中心人物になれている選手は、中田選手同様、しっかりとした準備と問題解決型思考を兼ね備えている人物だと勝手ながら信じています。

そういった意味でも幼少期からのサッカー以外のアクティビティができる環境を提供してあげ、思考を停止させない好奇心旺盛な人物に導いてあげられることが、我々大人にとってはとても重要な要素ではないか?と感じています。

 

2018年2月

【優秀な選手】

サッカーの競技において技術のある選手は勿論優秀な選手と言えるでしょう。

昔から日本人は個人技や細かいテクニックでは世界でも上位レベルにある、という声を良く耳にしたものでした。特にユースレベルでは世界の大会においても結構いいところまで進むということは良くありましたし今でもその傾向に大きく変化はないものかと思います。

ではなぜ、世界でも上位レベルにあるというテクニックを持ってしてもワールドクラスの大会では上位に食い込むことができないのでしょうか?(ここではトップチームが対象)

それは、日本人特有の気質(主に競争よりも協調気質、服従性が強いといったようなメンタル面)や体格差などのフィジカル面の要素も関係しているかとは思いますが、私個人的には、サッカーのテクニック重視の指導方法が今でも根深く浸透していて、それが成人に成長した時に上手くゲームで活用できていないためではないか?と特に最近は強く感じる部分があります。
但しこれはテクニック重視の指導方法が悪いと言っているわけでは決してなく、特に少年サッカーのステージでは“個の育成”が重視されるため、この時期(特にゴールデンエイジ:9~12歳ごろ)にテクニックを磨いておかなければならないことに何ら否定することはありません。

サッカーをやっている人で、あらゆるドリブルの技を使って相手を巧みに抜き去ったり、リフティングが何百回もできたりすればとてもかっこいいし、自分もそうなりたい、と思って一生懸命練習します。Jリーグが発足し、世界基準の育成方法が浸透してきてからはだいぶ少なくなってはきていますが、それでも未だに狙ったところにボールをしっかり止める、狙ったところに正確にボールを蹴る(出す)、といったパス・コントロールの基本が出来ていない選手が数多くいるという事実がまだまだ根深く存在しています。Jリーグ発足前の日本のサッカーはこの部分が世界で勝てない決定的な要素でもありました。

パス・コントロールの練習はドリブルなどのテクニック重視の練習と比べると地味なのですが、実はこの狙ったところに正確にボールをコントロールする、という要素は幼少期の頃にきっちりとやっておかなければならない非常に大切な技術なのです。これ以外にも幼少期におろそかにされやすいスキルとしては“判断を伴う練習”であって、“適格に状況判断をしながらしっかりとパス・コントロールができる”、というスキルこそが実はこのゴールデンエイジにやっておかなければならない非常に大切なトレーニングであると私は信じています(勿論、これにプラスαでテクニック重視のトレーニングがあることが必要です)。

 

2018年1月

【審判について】

サッカーの試合は実際プレーをしている選手が中心となるため、ベンチや観客席から脚光を浴びるのはもちろん選手です。
しかし花形である選手にスポットライトが当たる中、それを陰で支えながら試合が荒れていかないよう上手くゲームをコントロールし、無事に試合を終結させるのは審判の役割であり、この審判の存在なくして選手はサッカーの試合(とりわけ公式戦)に参加するのは元より楽しむこともできません。
サッカーの審判員は都道府県内の地域で活動ができる4級審判員から、JFA主催の試合を担当ができる1級審判員までの階級が存在します(国際試合は更に1級審判員の中からFIFAが選出)。
少年サッカーにおいては、主に3級と4級の審判員が担当をします。実際、公式戦の審判をやっていて感じることなのですが、3級の人でもあまり上手でない人もいれば、4級の人でもとても上手な人がいる、ということです。
審判の上手い、あまり上手ではない、の判断基準はそれこそ人それぞれなのですが、私が「上手だな」と思う基準は、“できるだけプレーを止めずにアドバンテージをギリギリのラインでとれる人”だと思っています。プレーを止めない、といっても明らかにファウルなのに止めない、のは単に上手でないだけであって、ここでいうプレーを止めないとは選手が動きの中で作ったチャンスをできる限り活かしてあげる(たくましい選手を育てる)ことができるかどうか、という意味になります。それ以外の要素でも、笛の吹き方や吹くタイミング、動き方(サイドステップやバックステップの積極活用、対角線審判方式、プレーへの適度な接近など)、ジェスチャー、競技規則の理解度などを総合的に見て上手い、上手くない、を判断できますが、私自身は上述の“できるだけプレーを止めない”という点がとても重要な要素だと思っています。
よく目にする光景としては、ファウルをとれること=審判の成熟度だと思っている人が少なからずいることで、せっかくいいゲームの流れができているのに試合を中断してしまい、とても残念な思いをすることがあります。
とは言っても、審判は何度やっても失敗はつきもので、「自信がついた!」と思っても、次の試合でまたミスる、ということは良くあり日々勉強の毎日であります。
そういった意味でも、審判員の仕事は結構大変であり、試合中に審判のジャッジにあからさまにベンチからクレームをつける指導者についてはどうしても人間性を疑ってしまう部分があります。納得はいっていなくても審判を行ってくれている人へのリスペクトを忘れない人こそ、優れた指導者ともいえるものだと思っています。

【競技規則 2017/2018】で新たに追加された文章
第5条 主審
2.主審の決定
「プレーに関する事実についての主審の決定は、得点となったかどうか、または試合結果を含め最終である。主審および その他すべての審判員の決定は、常にリスペクトされなければならない。

 

2017年12月

【スクールについて】

数多くのサッカースクールが存在しています。
Jや海外のメジャークラブ公認のスクールから、サッカー経験者が自ら開校したもの、指導者資格をとったきっかけでスタートさせるもの、など様々です。
いずれも子供達に自分の培ってきたノウハウや技術を伝えていきたい、という熱い志をもった人たちが開いたサッカー版の塾(予備校)だと言えるでしょう。
これに対して、正式に選手登録しているクラブチームや少年団は普通の小学校と言うことができると思います。
親が子をスクールに通わせる理由も様々でしょう。子ども自らが「行きたい」と希望する場合であったり、親が半ば強制的に通わせる場合であったりなど。
ただ目的は共通していて、ある特定の技術(ドリブルやボールコントロール等)を重点的に磨いて他と差別化を図りたい、他よりも抜きん出たい、というところがほとんどの理由ではないでしょうか?

スクールに通わせること自体は肯定もしなければ否定もしません。
但し、スクールに通わせることについて注意しなければならないことがあると思っています。
それは、“スクール選び”を誤るとかえって“自己流”つまり独特なフォームやクセがついてしまう可能性がとても強い、ということです。
例えばスキーでいうところの、俺流に上手い、と思って滑っていても実は物凄く格好が悪い滑りになっている、といったことを想像すればイメージが湧きやすいのではないでしょうか?長年、自分の滑りはかっこいい!と思いこんでいた人が、実際ビデオで撮ってもらった自分の滑りの映像を見て愕然とする、という話は良く耳にするものです。

改めて、スクールの存在そのものは全く否定していません。勿論、とても優秀な選手を数多く輩出するスクールもあります。しかし存在するスクールの大多数が、昔サッカーをやっていた、という経験者が我流のテクニックを教えてしまっていることが多いというのも事実です。
そのため、もしスクールに通わせるのであれば、多少月謝は高くてもJFA公認のB級以上のライセンス保有者が1名以上、またはC級ライセンス保有者複数名の指導陣がいるJクラブの下部組織、または海外クラブ公認のスクールに入れるのが良いでしょう。
なぜならこれらのクラブの指導者達は“グローバルスタンダード:世界標準”をベースにした厳しい採用試験(実技、論文、筆記試験、指導実践など)を通過し、その指導方法に添った一貫指導を行っているからです。
(特にB級以上になると、指導者としての実績や各協会/連盟枠からの推薦とその後の選考トライアルの通過が必須条件となるため普通の人は取得できなくなります。)

良く「〇〇〇〇スクール」は足技が上手くなる、ので入った方がいい、みたいな声を耳にすることがあるのですが、足技が上手くなるのは、例えば、ブラジル人が裸足でボールを遊び道具として触って楽しみ、自然とボールコントロールやテクニックが身についてくる、といったような“感覚的”に体得するものであって、指導(ここでは自己流のテクニックの伝授)という方法で強制的に身につけさせてしまっている、といった類のものとはそもそも次元そのものが違うからであります。

結論からしますと、しっかりとした指導陣(グローバルスタンダードの育成方法に添った指導をするスタッフ)のいるクラブに所属しているのであれば、あえて町のスクールに入る必要はない、と思っています。
個人として他と差別化させたいのであれば、「習うよりも慣れろ」、つまり、クラブで習ったことを後は自分で反復練習すれば良いだけのことです。そう、とてもシンプルなことなのです。言い換えれば、自主トレをしない子は、いくらスクールに通っても上達はしません(か、他よりも遅いです)し、逆に、自主トレをする子はスクールに入っていようがいまいがぐんぐん伸びていくものです。
多くの一流のアスリートが口をそろえて言う言葉、すなわち「努力をすれば必ず報われる」に尽きる、と思っています。

 

2017年11月

【子供の育成について】

どれだけスクールを掛け持ちしていても、努力しない子に大きな上達は望めません。
逆に努力する子、教わったことをすぐに吸収し、自分で復習のできる子はどんどん伸びていきます。
サッカーが本当に好きな子に、サッカーを好きなだけやらせてあげるのは良いことでしょう。しかし、大人が子供の意思と関係の無いところでサッカー漬けにするのはかえって逆効果だと思っています。
サッカーだけに没頭させるよりも、その他のアクティビティ(例えばテニスや野球、水泳、勉強、友達との遊び、など)ができる環境を提供してあげた方が、かえって好奇心が強く視野の広い“いい選手”が育つと思っています。

また最後まで勝利にこだわり、結果的に負けてしまったトーナメント戦の後に涙を流せる子は確実に伸びる選手だと言えるでしょう。